主の霊による3つの例(神の声の受け取り1部、蛇のたとえ、天国への競技|個人預言2021/10/31

2021.10.31に聞いた(主のメッセージです)

神様のメッセージのチャンネルに合わせる

無線, 年, 郷愁, レトロ, 音楽, 無線装置, 古いラジオ, 周波数, 塞ぎます

主は言われます。「わたしの声が聞こえるか?これはラジオのチャンネルを合わせるようなもので。わたしの電波にあわせなさい。しかし惑わされていけない。この区別ができるか?」

主の声を聞くチャンネルについて詳しく聞く。

天国の電波は複数の数を合わせる。ひとつたりともずれてはいけない。

1〜7まで心に留め抱くことで聞くことができる。少しでもずれるとわたしの声ではなくなる。よく気をつけなさい。

1つでもずれるとわたしの似た者の電波になってしまう。=666を指す。

  1. 愛と慈しみ
  2. 自己犠牲
  3. 調和・柔和
  4. 思い煩いの解放
  5. 時の流れを捨てる(無・静寂)
  6. 愛する者の為に
  7. 裁きへの恐れ(へりくだる思い)

このことを思いなさい。

愛する者の為に。わが霊はそれぞれ見据えていく。全てが平等である。仲間外にはせず。全ての人に権利を注ぐ。→神の声を聞く権利。

 

蛇の呪いと悔い改めのたとえ

動物, 爬虫類, ヘビ

古くなった皮を脱ぎなさい。罪をまとった皮を脱ぎなさい。

蛇は悔い改める為に脱皮をします。

自らの罪の呪いを解放する為に脱皮をします。

蛇も原罪を持っているので罪が剥がれないのです。蛇は何度も何度も罪を手放す為に皮を脱ぎます。蛇は本当は清い心の持ち主なのです。蛇も自らの罪の意識に抵抗するのです。

主なる神はへびに言われた、「おまえは、この事を、したので、すべての家畜、野のすべての獣のうち、最ものろわれる。おまえは腹で、這いあるき、一生、ちりを食べるであろう。(創世記3:14) 

まるで呪いのようだ。

人間もまた呪いがあるように蛇にも呪いがあるのです。

 

天国への道のりと競技のたとえ

ジョギング, 走る, スポーツ, ジョグ, スポーティー, 人種, 動き, スニーカー, あちらへ, 靴

悔い改めることには意味があります。わたしはあなたがたが最後まで悔い改める心が大事だと言いたいのです。

忠実さをみます。

もちろん、あなたを嫌いなわけではありません。

罪の意識は残りますが、最後まで信仰を持って悔い改める心をわたしは見ます。

ここに救いがあります。→信仰し続けることにより義とされ救いとされる意味

なので道は狭いのです。最後まで諦めないで走り続けるマラソンのように。ゴール(天国)は最後まで走り貫いた者だけのご褒美です。

最後までゴールした者はみんな1位です。一人一人が美味しい飲み物を持って祝福し心の癒しを与えられます。

兄弟たちよ。わたしはすでに捕えたとは思っていない。ただこの一事を努めている。すなわち、後のものを忘れ、前のものに向かってからだを伸ばしつつ、 目標を目ざして走り、キリスト・イエスにおいて上に召して下さる神の賞与を得ようと努めているのである。(ピリピ3:13〜14)

 

愛する者よ。

最後まで耐え忍びなさい。悪の邪魔が入っても戦い続けなさい。

ゴールは永遠の扉の入り口なのです。

 

📝個人預言の受け取りは吟味が求められます。

『預言をする者の場合にも、ふたりか三人かが語り、ほかの者はそれを吟味すべきである。』(コリントⅠ14:29)

「すなわち、ある人には御霊によって知恵の言葉が与えられ、ほかの人には、同じ御霊によって知識の言、またほかの人には、同じ御霊によって信仰、またほかの人には、一つの御霊によっていやしの賜物、またほかの人には力あるわざ、またほかの人には預言、またほかの人には霊を見わける力、またほかの人には種々の異言、またほかの人には異言を解く力が、与えられている。すべてこれらのものは、一つの同じ御霊の働きであって、御霊は思いのままに、それらを各自に分け与えられるのである。」(コリントⅠ12:8〜11)

「このように、異言は信者のためではなく未信者のためのしるしであるが、預言は未信者のためではなく信者のためのしるしである。」(コリントⅠ14:22)

『神がこう仰せになる。終りの時には、わたしの霊をすべての人に注ごう。そして、あなたがたのむすこ娘は預言をし、若者たちは幻を見、老人たちは夢を見るであろう。その時には、わたしの男女の僕たちにもわたしの霊を注ごう。そして彼らも預言をするであろう。』(使徒の働き2:17〜18)

 

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