▲上記のことから答えていきます。▲
クリスチャンになってからや聖書を触れた人にとって、人間の娯楽の一つであるお酒について疑問はありませんか?
「クリスチャンは、お酒は禁止なのか?」と・・・。
多くの宗教では禁止されることも多いですが、聖書的にはNGではありません。
しかし・・答えは一つではないということ。
今回聖書からお酒についてまとめてみました。
本記事でわかること
☑️聖書でお酒は禁止?
☑️結論!お酒は○。クリスチャンのお酒の話。
Contents
聖書的に酒は禁止なのか?
聖書的には、お酒について「別に酔って迷惑かけなきゃいいんじゃねー。」って感じの解釈でOKです。
というのも、聖書では特にお酒を飲むこと自体が罪ではありません。
結論を先に言うと。
「お酒は嗜む程度なら飲んでいいですよ」→「ですが、飲みすぎるのは迷惑をかけたり依存するので気をつけましょう」→「酒に依存し酒に飲まれ泥酔することは罪となります。」こんな感じ。
では、聖書から引用した箇所を参考にしてみましょう。
お酒の否定文
最初は、お酒の否定文です。
このルールがある厳しい旧約聖書に禁酒のキーワードが多く目立ちました。
👇聖書箇所👇
「あなたも、あなたの子たちも会見の幕屋にはいる時には、死ぬことのないように、ぶどう酒と濃い酒を飲んではならない。これはあなたがたが代々永く守るべき定めとしなければならない。(レビ記10:9)
ぶどう酒と濃い酒を断ち、ぶどう酒の酢となったもの、濃い酒の酢となったものを飲まず、また、ぶどうの汁を飲まず、また生でも干したものでも、ぶどうを食べてはならない。(民数記6:3)
あなたがたはまたパンも食べず、ぶどう酒も濃い酒も飲まなかった。こうしてあなたがたは、わたしがあなたがたの神、主であることを知るに至った。(申命記29:6)
13:4それであなたは気をつけて、ぶどう酒または濃い酒を飲んではなりません。またすべて汚れたものを食べてはなりません。13:7しかしその人はわたしに『あなたは身ごもって男の子を産むでしょう。それであなたはぶどう酒または濃い酒を飲んではなりません。またすべて汚れたものを食べてはなりません。その子は生れた時から死ぬ日まで神にささげられたナジルびとです』と申しました」。13:14すなわちぶどうの木から産するものはすべて食べてはなりません。またぶどう酒と濃い酒を飲んではなりません。またすべて汚れたものを食べてはなりません。わたしが彼女に命じたことは皆、守らせなければなりません」(士師記13:4、7、13:14)
しかしハンナは答えた、「いいえ、わが主よ。わたしは不幸な女です。ぶどう酒も濃い酒も飲んだのではありません。ただ主の前に心を注ぎ出していたのです。(Ⅰサムエル1:15)
20:1酒は人をあざける者とし、濃い酒は人をあばれ者とする、これに迷わされる者は無知である。31:4レムエルよ、酒を飲むのは、王のすることではない、王のすることではない、濃い酒を求めるのは君たる者のすることではない。(箴言20:1、31:4)
お酒の肯定文
とはいえ、聖書はお酒を飲んでもOKです。
「あなたは行って、喜びをもってあなたのパンを食べ、楽しい心をもってあなたの酒を飲むがよい。神はすでに、あなたのわざをよみせられたからである。」(伝道者9:7)
「すなわち人の心を喜ばすぶどう酒、その顔をつややかにする油、人の心を強くするパンなどである。」(詩篇104:15)
「さあ、かわいている者はみな水にきたれ。金のない者もきたれ。来て買い求めて食べよ。あなたがたは来て、金を出さずに、ただでぶどう酒と乳とを買い求めよ。(イザヤ55:1)
さらにですが・・ヨハネの福音書では、イエスは水をぶどう酒に変えられました。しかも!あのイエスもぶどう酒を飲んでおられたようです(参照ヨハネ2:1〜11)。
お酒の注意点
ですが、お酒を飲んでは良いものの人を楽しませる物は誘惑が付き物。
ここに罪の罠が仕掛けられます。
例えば、酒依存症もそうですね。
「酒に酔ってはいけない。それは乱行のもとである。むしろ御霊に満たされて、詩とさんびと霊の歌とをもって語り合い、主にむかって心からさんびの歌をうたいなさい。」(エペソ5:18〜19)
「災ある者はだれか、憂いある者はだれか、争いをする者はだれか、煩いある者はだれか、ゆえなく傷をうける者はだれか、赤い目をしている者はだれか。酒に夜をふかす者、行って、混ぜ合わせた酒を味わう者である。」(箴言23:29〜30)
「この人々に自由を与えると約束しながら、彼ら自身は滅亡の奴隷になっている。おおよそ、人は征服者の奴隷となるものである。」(Ⅱペテロ2:19)
「肉の働きは明白である。すなわち、不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、まじない、敵意、争い、そねみ、怒り、党派心、分裂、分派、ねたみ、泥酔、宴楽、および、そのたぐいである。わたしは以前も言ったように、今も前もって言っておく。このようなことを行う者は、神の国をつぐことがない」(ガラテヤ5:19〜21)
飲みすぎて意識がなくなっていた・・そんなことはないでしょうか?これはNGです。
クリスチャン的の、お酒の話
クリスチャン的にお酒の話をします。
お酒に依存していたら?
クリスチャンになると様々な事に罪と感じ始めますので飲酒が罪と感じたら・・これは良い事です。
聖霊様がストップ指示を出しています。
クリスチャンになると、救われた命となるので罪に関しては辞めようと気持ちが働きます。
なぜならクリスチャンになると自分の体は自分だけのものではなくなるからです。
神の宮と偶像となんの一致があるか。わたしたちは、生ける神の宮である。神がこう仰せになっている、「わたしは彼らの間に住み、かつ出入りをするであろう。そして、わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となるであろう」。(コリントⅡ6:16)
「不品行を避けなさい。人の犯すすべての罪は、からだの外にある。しかし不品行をする者は、自分のからだに対して罪を犯すのである。あなたがたは知らないのか。自分のからだは、神から受けて自分の内に宿っている聖霊の宮であって、あなたがたは、もはや自分自身のものではないのである。」(コリントⅠ6:18〜19)
僕も昔は、軽くですがお酒を飲む人でした。
もちろん。過去の僕はお酒の雰囲気とか気分の高揚感や酔った感じは好きでした。
しかし、現在は神様の力で一切お酒を飲みません。体が受け付けないし、飲もうとも思いません。
何をしたかと言うと何もしてませんが(笑)自然と飲まなくなるようにと導かれます。
※日々の祈りと決別の心は必要です。
もし、お酒に依存しているのなら主の御手が注がれることを祈ります。
クリスチャンは飲み会OK
クリスチャン同士でお酒飲みは、あまりないと思いますが。
社会となれば別。
僕の場合は、会社員で上司の指示となれば断れないこともあるので飲み会は参加してました。
聖書的にも禁酒命令(新約聖書)はしてないので、普通にお酒を飲みました。(毎週ではないので・・)
もし、飲みに誘われて判断に困った時は「イエス様ならどうしただろう?」と考えてみると良いかもしれません。
イエス様は優しいので「付き合ってあげなさい」と言うかもしれませんね。
仮にお酒飲みの席に参加して、あまりにもドロドロしてたり、非品行的な席なら断った方がいいかもしれませんね。
ここは適当に遇らえばいいので!あまり深く考えなくてもいいと思いますが、どうしても悩むのなら・・主に聞くのもありですよ。
お酒は楽しむツールです。適度に。
では、祝福がありますように( ^ω^ )ノ