クリスチャンが神社や寺に行くとなったらどうする?それは行けないこと?もし行くなら?

ジョン
クリスチャンですが、付き合いで初詣や旅行での神社参拝に行く予定があります。どうしたらいいでしょうか? 
ジョン
クリスチャンですが、数珠やお守りを持つことはいけないことでしょうか?
ジョン
クリスチャンですが、お墓参りはどうしたらいいでしょうか?

▲上記のことから答えていきます。▲

ハレルヤ!クリスぱんだ(@jesus153blog)です。

クリスチャンとはいえ、日本に住み、日本人であれば(外国人も)歴史的に根付いた宗教や伝統の文化などが共存しているので「神社参拝」「お寺巡り」「お見舞い」と言った行事に直面した時「私はクリスチャンだけど行ってもいいものなのか?」と疑問があるかと思います。

僕もクリスチャンですが、お寺問題には悩みました。

神社・寺に行っていいのか?行かないべきか?雰囲気を見る為に行きたいと思った時など、いろいろ考えた結果ですが、心の姿勢にたどり着きました。

しかし主はサムエルに言われた、「顔かたちや身のたけを見てはならない。わたしはすでにその人を捨てた。わたしが見るところは人とは異なる。人は外の顔かたちを見、主は心を見る」。(Ⅰサムエル16:7)

聖書による律法も大事ですが、主の心よりこの問題を考えていこうと思います。

クリスチャンが神社(初詣)に行くメリットとは?

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クリスチャンが神社・寺、初詣に行くメリットを考えつつ、クリスチャン的疑問を3つ。

  • クリスチャンが神社(初詣含む)に行くことはいけないことか?
  • 神社・寺の雰囲気や観賞が好きな場合はどうすればいいのか?
  • お墓参りはいけないのか?

上記の3つから実体験と聖書や神様(イエス・キリスト)の視点からまとめます。

 

クリスチャンが神社(初詣含む)に行くことはいけないことか?

基本的にクリスチャンが初詣に行く意味はほぼほぼなく、いかない信者さんが多いです。

というのも初詣とは宗教を持たない方が「旧年無事に過ごせた感謝と新年がいい年になるように願掛けすること」または願い事をするために神社に出向くことであり、クリスチャンにとって建築物を目的とした物や人の形を形どった仏像に拝みに行くことは他の神を崇めるor偶像崇拝となるので罪を感じます。

何よりクリスチャンには、見えない場所を信仰しているので神社などの場所を避けます。

あなたがたは知らないのか。自分のからだは、神から受けて自分の内に宿っている聖霊の宮であって、あなたがたは、もはや自分自身のものではないのである。(Ⅰコリント6:19)

あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない。(出エジプト20:3)

なので、クリスチャンは神社に行っては行けないのか?というより聖書的には、言葉を受け入れていないんですか?というニュアンスになりそうです。

もしあなたがたがわたしを愛するならば、わたしのいましめを守るべきである。(ヨハネ14:15)

しかし、付き合いもあるケースもあります。

ですが・・ここはイエス様は愛があります。

イエス様を深く信仰した人だと自ら神社に行くことは拒むとは思いますが、そこに事情があることもありますし、神社に行くのが強制でもありませんし、行く場合は主に許しの祈りを捧げていきます。

 

雰囲気や観賞が好き場合どうすればいいのか?

お寺や神社の雰囲気に魅力を感じてしまっている場合は注意です。

僕も過去はクリスチャンにも関わらずパワースポット巡りで神社に行き「なんかエネルギー感じるな」と思い感動し、建築物にハマった時期があります。

聖書的には好ましくないので控えた方が良さそうです。

あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない。あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。上は天にあるもの、下は地にあるもの、また地の下の水のなかにあるものの、どんな形をも造ってはならない。(出エジプト記20:3〜4)

愛する者たちよ。すべての霊を信じることはしないで、それらの霊が神から出たものであるかどうか、ためしなさい。(Ⅰヨハネ4:1)

僕はこの時期クリスチャンでありながら、パワースポット巡りや神社のパワーを感じた自分は不信仰で聖書もろくに読まない時でした。洗礼を受けて10年は経っているのに霊の世界では、まだまだ幼子であり、無知であり、不信仰である自称クリスチャンの証拠でした。

もし、「神社など崇拝を目的とする宗教的建築物が、キリストに真逆する場所」だという疑問が起きていないなら再度聖書の言葉を確認し、視点を見つめ直す必要があるかもしれません。

 

お墓参りはいけないのか?

宗派によって考えが違うと思いますが、お墓参りはクリスチャンならではに対応するといいかと思います。

「心から神様の冥福がありますように」というように心の中でクリスチャンなりの祈りを用いればいいかと感じます。

ちなみにお墓には死んだ霊がいるのか?ということも考えてみました。

確かに死んだ者は、肉体から離れ霊となりますが、その場所に止まるとも限りません。

参照:クリスチャンが遭遇!悪霊・幽霊?の本物の写真【閲覧注意】〜信仰を高められる用に〜

聖書によれば、死後は黄泉(地獄ではないが苦しい場所)に入る前の空間にいるのか、黄泉の世界にいるのかどちらかです。地獄の門は悪魔も同時に入る予定(世界はまだサタン支配下)なので現時点で地獄は閉ざされています。

兄弟たちよ。眠っている人々については、無知でいてもらいたくない。望みを持たない外の人々のように、あなたがたが悲しむことのないためである。(Ⅰテサロ4:13)

ある金持がいた。彼は紫の衣や細布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮していた。ところが、ラザロという貧乏人が全身でき物でおおわれて、この金持の玄関の前にすわり、その食卓から落ちるもので飢えをしのごうと望んでいた。その上、犬がきて彼のでき物をなめていた。この貧乏人がついに死に、御使たちに連れられてアブラハムのふところに送られた。金持も死んで葬られた。そして黄泉にいて苦しみながら、目をあげると、アブラハムとそのふところにいるラザロとが、はるかに見えた。そこで声をあげて言った、『父、アブラハムよ、わたしをあわれんでください。ラザロをおつかわしになって、その指先を水でぬらし、わたしの舌を冷やさせてください。わたしはこの火炎の中で苦しみもだえています』。アブラハムが言った、『子よ、思い出すがよい。あなたは生前よいものを受け、ラザロの方は悪いものを受けた。しかし今ここでは、彼は慰められ、あなたは苦しみもだえている。(16:19〜25)

そして、一度だけ死ぬことと、死んだ後さばきを受けることとが、人間に定まっているように、(ヘブル9:27)

 

お寺・神社に行って注意すること

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クリスチャンはお寺や神社に行き注意することは2点。

  • お守り・数珠を買わない
  • おみくじ・参拝も控える

では、補足上の解説です。

お守り・数珠を買わない

お守りや数珠を買うのはやめましょう。

これは、偶像崇拝にあたりますね。

お守りや数珠を買う事で、見えない超自然的な力を信じずに物に頼む行為になってしまいます。よって偶像崇拝の行為と考えられます。

雰囲気や場のノリでも買わないようにしましょう。

処分にも困ってしまいそうです。

ゴッドフォースは心の中のみにしておきましょう。

 

おみくじ・参拝も控える

おみくじや参拝も控えましょう。

おみくじは占いの部類です。占いは聖書でも注意観測されています。

参照👉聖書的に占いはタブー!?なぜ占いが禁止されている?ヤバすぎるだろ・・占いの裏の正体を解説!

参拝についても、しない方がいいですね。

物に手を合わせればイエス様も悲しんでしまいますよ・・。

せめて、その場所に行くまでがいいかもです。

「えっ参拝しないの?」と言われても周りには適当に「私、信じない派だから。。」などやトイレに回避しましょう。

 

クリスチャンが神社などに行く心構え(まとめ)

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いかなる事情でも神社や初詣、お墓参りに行く場合がありますが「この場合イエス様ならどうするのかな?」という思いで考えると自然と対応ができるかと思います。

イエス様といえば、意味なく人を咎めたり責めることもしないと思いますし、平和を求め、命の霊に従いなさいと仰るでしょう。御霊の霊の思いには愛があるのでイエス様ならこう動くと感じれば適切な振る舞いも与えれるかもしれません。

もし、参拝に行っても心を見るお方なので「申し訳ない」という気持ちで悔い改めていれば許してくださいます。

もしかしたら、神社に行ったらイエス様にとりなしの祈りをしなさいと言われるかもしれません。

神社や初詣に行くことになったら、まずクリスチャンらしくイエス様に祈ってから行きましょう!

 

では祝福がありますように( ^ω^ )ノ

 

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4 件のコメント

  • こういうこと言う人がいるからクリスチャンになりたくないんだよなぁ。
    お守り買ったからってキリストが悲しむわけないじゃん。

    • ブログ訪問とコメントありがとうございます。
      匿名さんはイエス・キリストの気持ちがわかるんですねー!神の心を読めるのはすごいことです。
      クリスチャンでも神の心を熟知する者は早々ほぼいません。

      クリスチャンは、本当に最高ですよ!全てに解放されます。
      匿名さんも祝福があるようにお祈りしてますね(๑>◡<๑)

  • 昔、秦氏という人たちが日本に来られていて、日本に影響を与えていたとする説があります。ユダヤ人であったり、原始のカトリックよりも以前のキリストを信じた東方教会(組織や教派という意味ではなく、私を
    信じる者がひとり、ふたり集まっているなら、私は(イエス・キリスト)そこにいるという意味の教会が
    日本に来ていたとしています。稲荷神社もインナリという表現が変わっていったと主張する説もあります。
    世界中に誰かはわからないけど、創造主がいてより頼むと救いが得られる方がいるということは自然の雄大さを見るときに本能的に気づいていたのかも知れません。セカンドチャンス論は今、受ける救いを逃してしまう可能性があるのでお勧めしませんが、ただ創造主が奉られていない物は拝まないです。

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