▲上記のことから答えていきます。▲
ハレルヤ!クリスぱんだ(@jesus153blog)です。
イエス・キリストの12弟子の中で熱心党のシモンって方がいますが、この方って何をした方だかよくわからないですよね?聖書を読んでも全然名前が出てこない人なんですよねー。
この人・・情報として、かなり少ないので解読が困難な人で有名なんです。
ですが、今回できる限り情報をコンパクトにまとめましたので、 熱心党シモン情報の参考にして頂くと幸いです。
Contents
熱心党のシモン(キリスト教)とはどんな人物なのか?
熱心党シモンについて下記の通りでまとめました。
- 使徒の熱心党シモンはどんな人だったのか?
- シモンは誰と活動していたのか?
- シモンの最後
では、コンパクトに深掘りして解説です。
使徒・熱心党シモンとはどんな人だったのか?
まず、使徒の熱心党シモンのプロフィールを作ってみました。
名前 | シモンSimon |
画像 | |
あだ名 | 熱心党シモン |
家族 | ーーー |
シンボル | ーーー |
旧職 | ーーー |
出身 | カナン |
死去理由 | 殉教 |
熱心党のシモンはイエス・キリストの12弟子の一人です。
熱心党と呼ばれている意味は、当時脱ローマを目指(ローマ支配から脱するため活発に反対運動をしていたグループがあり所属)していたので熱心党と呼ばれていたそうです。
熱心党のシモンは、信仰面でもモーセの律法を厳守しており信仰や正義感が厚かった人物とされます。※英語では、サイモンになります。
そんな熱心党のシモンでしたが、イエスと出会います。(記述は不明です。)
熱心党のシモンはイエス・キリストについて行った理由として考えられるのが、シモンは脱ローマを目指していたがグループ勢力が弱いため難攻していたと見られ、その最中で指導者イエスの姿を見て希望を持ったのかもしれません。
あまり熱心党のシモンに関しては、聖書記載がほとんどなく謎の使徒になります。
ちなみにシモンという名前にはペトロ(シモン)やイエス・キリストのシモン兄弟とは別人になるので区別をするために熱心党と呼ばれます。
自民党の太郎と言った感じでしょうか。
熱心党シモンは誰とどんな活動していたのか?
熱心党シモンはイエスの復活後から本格的に変えられ宣教活動を起こします。
- エジプト、メソポタミア、後にペルシャに宣教
- ブリテン島にも伝道し
- 教会(おそらくはグラストンベリー寺院)を建設
という情報があります。
熱心党シモンの最後
熱心党シモンの最後は殉教となりますが、聖書記載がないので伝承になります。
説によると・・
- グラストンベリー寺院を建設後に殉教
- ローマ帝国に対するユダヤ人の反乱に巻き込まれて殉教
- エジプトに伝道後、12使徒の一人であるタダイ(ユダ)とペルシアに行った際にノコギリで切られ殉教した(黄金伝説)
がありますが、真実は不明です。
熱心党シモンから学ぶこと
熱心党シモンについて、聖書にはあまり活躍の記載がされていなかったのですが、
信仰の厚さや正義感が強い面から情熱的な使徒だったとされます。
勝手な想像ですが熱心党シモンは武闘派だったのか?と考えるとイエス様も良き護衛隊長を選んだなぁーって感じです。
身近に熱心党シモンのような情熱的な友達がいれば旅先も心強いですよね。
では、祝福がありますように(๑>◡<๑)ノ