▲上記のことから答えていきます。▲
ハレルヤ!クリスぱんだ(@jesus153blog)です。
イエス・キリストの初期の12使徒はどのように死に殺されたのか?そんな疑問ないですか?
福音書を読み終えた後に、この残された使徒達の結末って結構気になりますよね?
イエスキリストは十字架にかかりましたけど、イエスの後に続いた使徒の最後もかなり酷いものでした。
今回、12使徒の最後の殺され方についてまとめましたので、最後まで読んでみてください。
Contents
キリスト12使徒の殺され方
キリスト12使徒の殺され方を別途紹介です。
▼キリストの12使徒達▼
- 使徒ペテロ(シモン)の殺され方
- 使徒アンデレの殺され方
- 使徒ゼべダイの子ヤコブの殺され方
- 使徒ヨハネの殺され方
- 使徒フィリポの殺され方
- 使徒バルトロマイ(ナタナエル)の殺され方
- 使徒マタイの殺され方
- 使徒イスカリオのユダの殺され方
- 使徒アルファイの子ヤコブの殺され方
- 使徒熱心党のシモンの殺され方
- 使徒トマスnの殺され方
- 使徒タダイ(ヤコブの子ユダ)の殺され方
上記の順で使徒達の殺され方を紹介。
🐼12使徒の特徴については👉イエス12使徒の覚え方|12弟子たちのスカウト順と特徴も一緒にまとめました。よりご参考にください。
※聖典聖書にない使徒達の死の内容はあくまでも「伝承」です。
※13人目の使徒パウロの殺され方は、ローマで暴君ネロにより打首の殉教です。
使徒ペテロ(シモン)の殺され方
使徒ペテロの殺され方については、ローマやパレスチナで布教を行いAD67年皇帝ネロの迫害により逆さ十字架で殉教されたとされます。
聖書記載なし。
使徒アンデレの殺され方
ペテロの弟であるアンデレの殺され方については、黒海沿岸で伝道を行い、ギリシアのパトラでX字型の十字架で処刑され殉教したとされます。
聖書記載なし。
使徒ゼべダイの子、大ヤコブの殺され方
ヨハネの兄弟である使徒大ヤコブの殺され方は、キリスト教徒への迫害が強くなる中エルサレムに戻った最中すぐに捕らえられて斬首されます。使徒の中で最初の殉教者とされイエス復活後にスペインで布教活動を行っていました。
使徒ヨハネの殺され方
使徒ヨハネの死は、信仰のために毒杯を飲んだが生きて伸びることができ、その後エーゲ海のパトモス島で晩年を過ごし、福音書や黙示録を記しました。自然死?使徒の中でただ一人殉教しなかった使徒とされます。
聖書記載なし。
使徒フィリポの殺され方
使徒フィリポの殺され方は、スキタイ地方・トルコを巡礼し福音を述べ伝えていました。ヒエラポリスの町でマルス神殿に住みついた悪龍を退治し大勢の人々の命を助けましたが、町の支配者や異教の神官はこれに激怒し、フィリポを逆十字に縛って処刑されます。
聖書記載なし。
使徒バルトロマイ(ナタナエル)の殺され方
使徒バルトロマイの殺され方は、アルメニアで捕らえられ生きながら皮膚を剥がされたとされます。
聖書記載なし。
使徒マタイの殺され方
使徒マタイの殺され方は、キリストの復活後にエルサレムの教団内に留った後エチオピア・トルコで殉教(刀傷により)されます。
聖書記載なし。
使徒イスカリオのユダの殺され方
使徒イスカリオのユダは、イエス様を銀貨30枚で引き渡した後に、後悔し首吊りで自殺しました。
使徒アルファイの子ヤコブの殺され方
使徒アルファイの子ヤコブの殺され方は、エルサレム神殿で布教中に屋根から突き落とされ、こん棒で叩かれ撲殺で殉教したといわれている。
聖書記載なし。
使徒熱心党のシモンの殺され方
使徒熱心党シモンの殺され方は、エジプトの伝道後にタダイとペルシアやアルメニアで活動中に殉教(鋸による切断処刑)したといわれる。
聖書記載なし。
使徒トマスの殺され方
使徒トマスの殺され方は、イランからインド方面に伝道した。AD68年~75年頃殉教(宣教の道中で槍に刺され)します。チェンナイ(旧マドラス)に葬られるとされます。
聖書記載なし。
使徒タダイ(ヤコブの子ユダ)の殺され方
使徒タダイの殺され方は、キリストの復活後にシモンと福音を巡礼して国々を回っていたがペルシャで殉教されます。
聖書記載なし。
キリストのために死ぬということ(考察まとめ)
12使徒の殺され方は伝承とされますが、唯一聖書に書いてあったのが”イスカリオのユダ”と使徒ヨハネの兄弟”大ヤコブ”だけでした。
では使徒達は、なぜここまで使徒達の心を強くしたのか?それは神の霊と神への絆と信頼です。
キリストの名のためにそしられるなら、あなたがたはさいわいである。その時には、栄光の霊、神の霊が、あなたがたに宿るからである。(Ⅰペテロ4:14)
というのは、神がわたしたちに下さったのは、臆する霊ではなく、力と愛と慎みとの霊なのである。だから、あなたは、わたしたちの主のあかしをすることや、わたしが主の囚人であることを、決して恥ずかしく思ってはならない。むしろ、神の力にささえられて、福音のために、わたしと苦しみを共にしてほしい。神はわたしたちを救い、聖なる招きをもって召して下さったのであるが、それは、わたしたちのわざによるのではなく、神ご自身の計画に基き、また、永遠の昔にキリスト・イエスにあってわたしたちに賜わっていた恵み、そして今や、わたしたちの救主キリスト・イエスの出現によって明らかにされた恵みによるのである。キリストは死を滅ぼし、福音によっていのちと不死とを明らかに示されたのである。わたしは、この福音のために立てられて、その宣教者、使徒、教師になった。そのためにまた、わたしはこのような苦しみを受けているが、それを恥としない。なぜなら、わたしは自分の信じてきたかたを知っており、またそのかたは、わたしにゆだねられているものを、かの日に至るまで守って下さることができると、確信しているからである。(Ⅱテモテ1:7〜12)
僕もクリスチャンとなりましたが、最近ブログを始めたのは自分の意志ではないことを自覚していてどちらかというと「やらなくてはいけない」という感覚で行動しています。
人間だった時(無信者)は自分さえ良ければいいと思っていましたが、今ではしっかりと聖書に目を通して神に従う心構えが生まれております。神は見えないですが神の言葉を守らなくてはいけない思いがあるのです(神の枝に繋がっている)。これは神に支配されているのではなく神を心から信頼しているから神についていきたいと思う=神の僕下としての関係ができているのです。そして、今まで僕個人の人生において神が起こしてくれた数々の奇跡の証を持っているので神に委ねることができるのです。なので神は僕自身に意思を与え動かしているのです。
使徒達も同様に神のために動けるのだと思います。
頭がおかしいと思われますが、神を信仰している人には神のために命を捨てることはクリスチャンとして栄光なことなのです。私たちクリスチャンは神を愛しているのです。
死ぬことは怖いですが、使徒達は神を愛しているから神の御心ならば喜んで死ねるのだと思います。
でも痛いのは嫌だし〜死ぬのは怖いですよ・・笑。
では、祝福がありますように(๑>◡<๑)ノ
使徒の方がたがおどされても、処刑で死んでしまうまで信仰をすてなかったことから、イエス様のご復活の奇跡までを経験されたという話が事実であったと考えられています。使徒の方がたは、子どもではなく、確信をもって殉教の運命をお受け入れになったのですね。
コメントありがとうございました!
ハレルヤ