▲上記のことから答えていきます。▲
ハレルヤ!クリスぱんだ(@jesus153blog)です。
SNSなどの情報発信の場で「これだからリベラル派は・・」や「リベラル派はダメなんだよなー」などリベラル+否定系のセットでの言葉を見かけたり言われたりした経験はありませんか?
僕もSNSで発信でこの言葉を言われたことがあります。
まるで責められるような言葉ですよね・・。僕も信仰を否定されたようで心を痛めた経験があります。
とはいえ、僕自身もこのリベラルという言葉について詳しく知らなかったので、今回”リベラル的”の信仰について情報を簡潔にまとめていこうと思いますので「リベラルってなんだ?」って疑問に思っている方は参考にしてみてください。
Contents
キリスト教でのリベラル派とは何か?
キリスト教のリベラル発言について。
下記のことからまとめます。
- リベラルの意味
- キリスト教が使うリベラル派
- プロテスタントが使うリベラル派
- 保守派とリベラル派の対立
では深堀り解説。
リベラルの本来の意味
「リベラル(liberal)」というのは「自由主義的な」という意味になります。
リベラルとは、宗教や政治における思想の傾向で19世紀にリベラル(liberal)=自由主義的という言葉が生まれたようです。
これと同時に「自由主義神学」という言葉に影響を受けたキリスト教諸教派・教会が神学的要素で使用されるようになります。
キリスト教が使うリベラル派
結論・・何かと「リベラル派だ」と呼ぶ人達は、「福音派・聖書主義者」などの保守的信仰グループが、自分たちとは異なる考えのグループに対する罵倒や中傷の言葉として「お前らはリベラルだ!」という言葉を使うようです。
つまり、キリスト教のリベラルの意味として「間違った信仰」「キリスト教を名乗りながら似て非なるもの」「異端」という意味で使われます。
プロテスタントの3つの考え
リベラル派というのはプロテスタントだけの話になります。カトリックはグループ企業みたいな感じなので比較的まとまっています。
では、リベラル派という言葉が生まれたプロテスタントは聖書を基づき3つの考えで分かれてしまいました。
- 左派(革新的で緩い)リベラル・・同性愛者、両性愛者、性転換者もOKかもみたいな緩い感じ。
- 中間(福音)・・福音をダイレクトにする。
- 右派(原理主義で過激であり厳しく保守的)原理主義・・反同性愛や反中絶、反進化論などに非常に強く避難する。
この3つに分かれます。
また20世紀に、アメリカのプロテスタントで『聖書』を近代科学を使い分析する「高等批評」により近代主義と原理主義が議論となりそれぞれの主張がおきました。
- リベラル派・・「近代科学もいいんじゃね」という人。
- 原理主義・・「近代科学は絶対に受け入れん!聖書の言葉を固く曲げたくない」という人
- 福音派・・「近代科学も受け入れたくないし、原理主義もよくないと思う」という人。
高等批評により上記の様に分かれます。
※リベラル派という宗派はありません。
この3つの考えの人々の結果的ですが、現在リベラル派だけが自由な上に議論が重ねられてしまい少数派になってしまっています。
キリスト教原理主義と福音派は聖書に誠実なので何かと教えに繋がっていますが、リベラル派は近代的な要素も聖書も受け入れてしまっているので中途半端にフワフワしているイメージです。時期消滅されてしまうと考えられています。
保守派とリベラルの対立
ちなみに保守的派とリベラルの徹底違いは・・
- リベラル=人間の自由を非常に重要視。
- 保守的=人間より神が中心ということを強調。
となります。
最も代表的な話をすると「聖書は誰が書いたのか?」という話題があるとすれば。
リベラルなクリスチャンは「聖書は確かに神について多くの人が証言した大切な本だが、人間が書いた本だ」と考え方をします。
社会的には人間の尊厳や平和がとても大事に考える面もありつつ、神が人間を愛してくださっていることを確信し、信仰を根拠にして人権運動・反戦運動に熱心に取り組む人が多いです。
保守的クリスチャンは、「聖書は人間が紙にインクで書いたものには違いないが、筆者は神の霊感を受けて神の霊感によって書かれた本だ」と主張します。科学は否定です。
社会的には人間よりも神の方が大事ですから、社会的な運動に深く関わることに非常に否定的な様です。
リベラルに対して過激な原理主義な方は、「人間中心的だ」「社会派だ」、「『世』に媚びている」「教会や礼拝をないがしろにしている」と叩く傾向が強い様です。
リベラル派と言われたら?
リベラル派と言われても気しなくてもいいのです。
僕もTwitterで「君はリベラル派だ!」と言われました。
ですが、僕は福音派→聖霊派に転じていて聖書も霊感によって受け取っていると信じています。
決して、人間的に席を置いておらず・・科学は否定なのでリベラルでもないのです。
リベラルという人は何を知っているのかわかりませんが、僕自身には誤判断だったようです。
反論ではないですが、リベラルという言葉に軽蔑の意味があるのなら誹謗中傷=罪にあたります。
人を裁く事は、神の御心ではありません。
なので、「君はリベラル派だ!」と言われても気にしなくていいのです。
ここから神の管轄に変わります。
ちなみにこんな御言葉を思い出しました。
ご存知の方もいると思いますが、イエス様は大工をしており大工の専門用語を使いました。
梁(はり)です。梁は家を支えるための木材で梁は水平でなければなりません。
梁を信仰に置き換えると自分の信仰は曲がっていないのか?と主は尋ねます。
善人は神様だけになるので恐らく自分が正しいと言えるのは偽善者で嘘つきです。
なので、相手が間違っていても人(自分を含め)は不完全なので人に指摘することができないのです。
これはもちろん自分にも言える事です。
肉と議論をすると悪の思いどおりになるので、相手にしないことがいい得策でしょう。
信仰で大事なこと
もし現在自分の信仰の立ち位置が間違っていても基礎が正しければ信仰は良い方向に変わっていきます。
聖霊様は、正しい方向に導き軌道修正をしてくれます。
イエスキリストが救い主(イエス・キリストの福音も誠実に受け入れる)であることがズレていなければ問題ありません。
念のために注意も書きますと、聖書を他の教えと混ぜたり、他の教えを参考に自己解釈だけはしないでください。
勝手な解釈や付け足しは、罪や異端になる原因です。
聖書は聖霊の霊感によって描かれているので聖霊によって解釈をしなくてはいけないのです。
自己自論だけ注意すれば、聖霊様が正しい道で導いてくれますので安心してください。
※間違っていても回心のチャンスはあるかもしれません。
なので、まずはイエス・キリストに忠実になる事をおすすめします。
僕は福音派なので、こんな事をいっちゃいましたけど・・主に忠実な僕となった方が無難かもしれません。
では祝福がありますように( ^ω^ ) ノ
大変興味深く拝読しました。
一つ気になる点があります。小見出し「保守派とリベラルの対立」の内容ですが、ある牧師さんのコラムと大変良く似ている気がするのです。
コメントありがとうございます。
記事を読んで頂きありがとうございました。