【聖書】羊と山羊を分ける(裁き)のたとえ話。Filening Number: ㉛

羊と山羊を分ける
ステファノ
聖書で”羊と山羊の・・なんちゃら”のたとえ箇所ってどこやっけ?
ジョブス
(マタイの福音書25:31〜46)の箇所で語られているよ!
ステファノ
ちなみに、どんな内容やったけ?
ジョブス
たぶんだけどな〜”羊と山羊を分けるのたとえ話意味をざっくり解説してみたから参考にしてみてや!

羊と山羊を分けるのたとえ話

【語られた内容】(マタイの福音書25:31〜46)

人の子が栄光の中にすべての御使たちを従えて来るとき、彼はその栄光の座につくであろう。そして、すべての国民をその前に集めて、羊飼が羊とやぎとを分けるように、彼らをより分け、羊を右に、やぎを左におくであろう。そのとき、王は右にいる人々に言うであろう、『わたしの父に祝福された人たちよ、さあ、世の初めからあなたがたのために用意されている御国を受けつぎなさい。あなたがたは、わたしが空腹のときに食べさせ、かわいていたときに飲ませ、旅人であったときに宿を貸し、裸であったときに着せ、病気のときに見舞い、獄にいたときに尋ねてくれたからである』。そのとき、正しい者たちは答えて言うであろう、『主よ、いつ、わたしたちは、あなたが空腹であるのを見て食物をめぐみ、かわいているのを見て飲ませましたか。いつあなたが旅人であるのを見て宿を貸し、裸なのを見て着せましたか。また、いつあなたが病気をし、獄にいるのを見て、あなたの所に参りましたか』。すると、王は答えて言うであろう、『あなたがたによく言っておく。わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである』。それから、左にいる人々にも言うであろう、『のろわれた者どもよ、わたしを離れて、悪魔とその使たちとのために用意されている永遠の火にはいってしまえ。あなたがたは、わたしが空腹のときに食べさせず、かわいていたときに飲ませず、旅人であったときに宿を貸さず、裸であったときに着せず、また病気のときや、獄にいたときに、わたしを尋ねてくれなかったからである』。そのとき、彼らもまた答えて言うであろう、『主よ、いつ、あなたが空腹であり、かわいておられ、旅人であり、裸であり、病気であり、獄におられたのを見て、わたしたちはお世話をしませんでしたか』。そのとき、彼は答えて言うであろう、『あなたがたによく言っておく。これらの最も小さい者のひとりにしなかったのは、すなわち、わたしにしなかったのである』。そして彼らは永遠の刑罰を受け、正しい者は永遠の生命に入るであろう」。

※口語訳より

【どういうたとえ話?】

最後の裁判のたとえ話。主の再臨の時に”羊(神の民)を自分の右に、山羊(悪人)を左”より分けるていくというもの。右というのはよく聖書で出てきますが(マタイ25:34、使徒7:56、ローマ8:34など)、これは神様は同等の権威で率いるという感じ。

山羊と羊の性格の性質を比べて見ると、よく適したたとえです。

  • 羊・・おとなしい。温厚。環境の変化を嫌う。引っ込み思案。
  • 山羊・・攻撃性がある。気性が荒い。

山羊は、悪魔の象徴でされています。

なぜ山羊は悪魔のイメージとして多く用いられているのですか? - Quora

↑悪魔のイラスト。

 

【ポイント】

  • ポイント①👉羊=クリスチャンであり、従順。山羊=不従順、反キリスト(ノンクリスチャン)。

 

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