▲上記のことから答えていきます。▲
ハレルヤ!クリスぱんだ(@jesus153blog)です。
イエス・キリストの弟子であるバルトロマイの存在はご存じでしょうか?聖書では脇役とされあまり聖書にも登場していない人物ですが、キリスト教の酷い殉教についてはトップに入るレベルです。
刺激が強い内容になりますが、バルトロマイの気持ちに近づける記事にしてみましたのでご参考にください。
Contents
【悲報】使徒バルトロマイは皮剥がしで殉教する
使徒バルトロマイの皮剥がしの殉教について下記のテーマで解説です。
- 使徒バルトロマイは皮剥がしで殉教した
- 皮剥がしの痛みはどの程度の痛みなのか?
上記で説明していきます。
使徒バルトロマイは皮剥がしで殉教した
使徒バルトロマイと言えば、イエス・キリストの12使徒の一人でヨハネを除き全員が殉教したと言われておりますが、その中でかなりエグイ死に方=皮を剥がされて殉教したのが使徒バルトロマイです。
バルトロマイが皮剥がしにあった経緯伝承ですが、イエスの復活後にフィリポ(ピリポ)と共にアジア、東方のインドに行き宣教活動中、アルメニアという場所で宣教をしていたところ生きたまま皮を剥がされ、首切りの刑で殉教しているとされています。
※983年、ローマに聖バルトロメオ大聖堂でバルトロマイの遺骸等が安置されています。
ミケランジェロの「最後の審判」にバルトロマイの肖像画(表皮(皮膚)をはがれて殉教したことをモチーフに)剥がれた自分の皮とナイフを持った姿で描かれているの描写されております。
画像引用先:wiki システィーナ礼拝堂の最後の審判、天井画
真ん中のイエス?男性を中心として右下に左手で人間の皮を持っている男性がバルトロマイです。
祝祭日は8月24日とされています。
皮剥がしの痛みはどの程度の痛みなのか?
皮膚がない状態がどの程度の痛みなのか?も少し調べたところ検索にはヒットはなかったですが、情報的に近いもので爪が剥がれた時の数十倍かと推測はできそうです。
ざっと痛み表を作りました。
人間が日常で体験する痛みレベルが1〜9までとしますと、皮が剥がされるというのは10と11を行き来する痛みなのは推測ができますね。
▼痛み表▼
痛みレベル | 状態 |
0 | 痛み無し |
1 | 軽度の痛み |
2 | 鈍い痛み |
3 | 痛みを意識しないで入れる |
4 | 痛みがあるが気にならない |
5 | めちゃ痛いが、頑張れば我慢できる |
6 | めちゃ痛くて長時間は耐えられない |
7 | 我慢もできない痛み |
8 | 立つこともできない痛み |
9 | 声すらも出せない痛み |
10 | これ以上とない極限の痛み |
11 | 気を失うほどの痛み |
使徒バルトロマイとはどんな人だったのか?
使徒バルトロマイについて下記の通りでまとめました。
- 使徒バルトロマイはどんな人だったのか?
- 使徒バルトロマイの功績
- バルトロマイの聖書箇所
では、シンプルに深掘りして解説です。
使徒バルトロマイとはどんな人だったのか?
まず、使徒バルトロマイのプロフィールを作ってみました。
名前 | バルトロマイΒαρθολομαίος(ギリシャ語) |
画像 | |
聖書内同一人物 | ナタナエル |
家族 | ーーー |
シンボル | ーーー |
旧職 | ーーー |
出身 | ガリラヤのカナ |
死去理由 | 皮剥がしの殉教 |
基本情報は少ないですが、使徒の一人バルトロマイは、ナタナエルとも言われピリポ(フィリポ)の紹介でイエス様に会います。そこで言われた一言「見よ、あの人こそ、ほんとうのイスラエル人である。その心には偽りがない」「ピリポがあなたを呼ぶ前に、わたしはあなたが、いちじくの木の下にいるのを見た」に感激しイエスについていきます。
使徒バルトロマイの功績
バルトロマイでわかる活躍は、ペルシア、インド、アルメニアなどのアジアでの宣教師を行いました。
バルトロマイがわかる聖書箇所
バルトロマイがわかる聖書箇所は”ヨハネ1:45~51”です。
このピリポがナタナエルに出会って言った、「わたしたちは、モーセが律法の中にしるしており、預言者たちがしるしていた人、ヨセフの子、ナザレのイエスにいま出会った」。ナタナエルは彼に言った、「ナザレから、なんのよいものが出ようか」。ピリポは彼に言った、「きて見なさい」。イエスはナタナエルが自分の方に来るのを見て、彼について言われた、「見よ、あの人こそ、ほんとうのイスラエル人である。その心には偽りがない」。ナタナエルは言った、「どうしてわたしをご存じなのですか」。イエスは答えて言われた、「ピリポがあなたを呼ぶ前に、わたしはあなたが、いちじくの木の下にいるのを見た」。ナタナエルは答えた、「先生、あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です」。イエスは答えて言われた、「あなたが、いちじくの木の下にいるのを見たと、わたしが言ったので信じるのか。これよりも、もっと大きなことを、あなたは見るであろう」。また言われた、「よくよくあなたがたに言っておく。天が開けて、神の御使たちが人の子の上に上り下りするのを、あなたがたは見るであろう」。(ヨハネ1:45〜51)
シモン・ペテロが、デドモと呼ばれているトマス、ガリラヤのカナのナタナエル、ゼベダイの子らや、ほかのふたりの弟子たちと一緒にいた時のことである。(ヨハネ21:2)
ナタナエル=バルトロマイについては、ここのみになります。
バルトロマイについての情報は気薄でしたが酷い殉教をしている点、信仰的にはすごく厚い方だったのかもしれません。イエス様がスカウトした理由にも納得です。バルトロマイに祝福を捧げます。
では祝福がありますように(๑>◡<๑)ノ