▲上記の内容から解説していきます▲
ハレルヤ!クリスぱんだ(@jesus153blog)です。
地獄・・誰でも行きたくないですよね?僕も行きたくないです。
実際に”地獄に行きたくない”とGoogleネットでググったところ・・地獄を回避する明確な答えがないところです。
僕は天国に行きたいばかりにクリスチャン(神様を信じる人)になり、普段から聖書を読みますが、この書物に地獄に行かない方法が明確に書かれています。
他にも神様は、クリスチャンに地獄を見せた体験談も実在しております。
本記事では地獄についてと地獄に行かない方法を交えてご紹介していくので参考にしてみてください。
本記事でわかること
☑️地獄に行きたくない気持ちには救いがかかっている
☑️地獄とはどんな場所か?
☑️地獄に行かないで回避する方法
Contents
地獄に行きたくないと思う人は救いの証
地獄に行きたくないと真剣に悩んでいる方に良い速報です!
その理由です。
- 意識が変えられた
- 軌道修正を変えている
上記のことから、聖書的に救われている理由を解説です。
救いの手が差し伸べられている
現在、自分がとった行動に罪悪感を感じているなら救われています。
というのも罪を感じていない人は、罪を知らないので罪を犯し続けている状態=地獄行きだからです。
例えば、聖書では、パウロ先生という偉大なキリスト伝道者がいて(元々ユダヤ教だったがキリスト教に回心した人)自分の罪と葛藤した人物です。
画像引用:聖書と歴史の学習館
罪に対しローマ人へ送った励ましの手紙がこうあります。
- 18 私は、私のうち、すなわち、私の肉のうちに善が住んでいないのを知っています。私には善をしたいという願いがいつもあるのに、それを実行することがないからです。19 私は、自分でしたいと思う善を行なわないで、かえって、したくない悪を行なっています。20 もし私が自分でしたくないことをしているのであれば、それを行なっているのは、もはや私ではなくて、私のうちに住む罪です。21 そういうわけで、私は、善をしたいと願っているのですが、その私に悪が宿っているという原理を見いだすのです。22 すなわち、私は、内なる人としては、神の律法を喜んでいるのに、23 私のからだの中には異なった律法があって、それが私の心の律法に対して戦いをいどみ、私を、からだの中にある罪の律法のとりこにしているのを見いだすのです。(ローマ人への手紙18:23)
パウロ先生は過去の罪だけじゃなく、罪をダメだと知りながら、再度罪を犯してしまう自分に悩んでいました。
現代的に言えば、頭の中で天使と悪魔が戦っている感じです。
この箇所でのポイントは、自分には悪があり罪を犯した事に気づけたということ。→ここが救いの一つであるということなんですね。
- 従って、今や、キリスト・イエスに結ばれている者は、罪に定められることはありません。キリスト・イエスによって命をもたらす霊の法則が、罪と死との法則からあなたを解放したからです。(ローマ8:1-2)
天国に行ける方向性を考える
罪の意識がもてた人は、天国に行ける方法を考える事ができます。
罪を知らない人や罪悪感がない人は、何も気づかずに自ら地獄に行きます。
まるで「人生一度きりだから好きな事をして生きていこうぜ」というセリフを言うように・・・
よく考えてみてください!罪を感じた人は、自分の行いを悔いるため自分の人生を善い方向へシフト転換する事ができるのです。
これからは、罪を感じた事で「地獄に行きたくない・・」と思うことなく天国に行ける機会を貰えたという事。
前向きに生き直す事ができるんですよ。→そのための救いです。
- 「あなたがたは、この世と妥協してはならない。むしろ、心を新たにすることによって、造りかえられ、何が神の御旨であるか、何が善であって、神に喜ばれ、かつ全きことであるかを、わきまえ知るべきである」(ローマ人への手紙第12:2)
地獄とはどんな場所か?(聖書や体験から)
地獄について、地獄を体験した人の体験を含め地獄についての解説をしていきます。
地獄に行く人の条件
地獄に行く条件とは下記の通り。
- 神を知らない・見ない
- 罪を犯し続ける
基本はこれで以上です。
その延長上で下記の者が対象者となります。
- おくびょうな者、
- 信じない者、
- 忌むべき者、
- 人殺し、
- 姦淫を行う者、
- まじないをする者、
- 偶像を拝む者、
- すべて偽りを言う者
この世界では、人間が住む地上の世界と神様がいる死後の世界があります。
天国に行くには、神様の事や神の国の律法を知らないといけません。
天国は神の国なので、あなたが神を知らなければ神もあなたの事を知らないとなります。
神は罪を教えています。神を知ろうとしなければ罪を知ることもできません。
なので、難しい事ですがこの世界で生きている内に本来の神との関係を和解しないといけません。
- 神を無視し、好きなように生きてきた人→死後、生涯の行いに応じた報いが起こる
- 神を信じ、聖書の言葉(霊)に沿ってした生きた人→命の書に書かれ、天国に行ける。
ちなみに「罪ってなんすか?」って疑問に思う人は、『聖書の罪リストと罪の結果がヤバすぎる件』より確認できます。
▼聖書の参考箇所▼
- 「罪の支払う報酬は死である。しかし神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスにおける永遠のいのちである」。(ローマ人への手紙第6:23)
- 「御子を信じる者は永遠のいのちを持つ(天国に入る)が、御子に聞き従わない者は、いのちを見ることがなく、神の怒り(神の永遠のさばき)がその上にとどまる。 」(ヨハネの福音書3:36)。
- 「そして彼らは永遠の刑罰を受け、正しい者は永遠の生命に入るであろう」(マタイによる福音書第25:46)
▼地獄の箇所▼
- 「また私は、大きな白い御座と、そこに着座しておられる方を見た。地も天もその御前から逃げ去って、あとかたもなくなった。 また私は、死んだ人々が、大きい者も、小さい者も御座の前に立っているのを見た。そして数々の書物が開かれた。また、別の一つの書物も開かれたが、それは、いのちの書であった。死んだ人々は、これらの書物に書きしるされているところに従って、自分の行ないに応じてさばかれた。 海はその中にいる死者を出し、死もハデスも、その中にいる死者を出した。そして人々はおのおの自分の行ないに応じてさばかれた。 それから、死とハデスとは、火の池(Lake of fire )に投げ込まれた。これが第二の死である。いのちの書に名のしるされていない者はみな、この火の池に投げ込まれた。」(ヨハネの黙示録20:11~15)。
- 「しかし、おくびょうな者、信じない者、忌むべき者、人殺し、姦淫を行う者、まじないをする者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者には、火と硫黄の燃えている池が、彼らの受くべき報いである。これが第二の死である」。(ヨハネの黙示録21:8)。
地獄に行くまでの間違った情報
地獄に関する間違った考えです。
- 死んだら魂は消滅しない→現世の行いを逃しません。
- 死んだらすぐ裁きにあう→最後の審判の裁きの日まで悪魔と待機
聖書では、死後は”黄泉(シオール)”という世界に行きます。
黄泉は、地獄でもないが苦しい場所です。
・信者→イエスの元に行く
・不信者→千年王国まで”黄泉”の世界に行き、イエスが王座につくとき”白い御座の裁き”により”燃える火の池(地獄)”に行きます。
黄泉は、不信者の永遠の住処となります。
地獄に落ちた時の体験談
神様によって地獄を体験したクリスチャンの経験を元に地獄について説明していきます。
2ストーリー紹介しますが・・恐らく地獄の前の”黄泉”という場所です。
▼地獄の体験約▼
Corey Burns
わずかに地獄の体験をしたCorey Burns
想像してたのと違っていた。地獄の絵のようなものではなく、突き刺されている人もいない。アパートの部屋のような箱の中にいた。そこで物凄く邪悪な声が僕に話かけてくるんだ。奴らな僕の名前を知っていたんだ。僕はわかっていた。そこが良い場所でない事を。
自分ではいい奴と思っていた。友達も多く、情け深く、世話好きで・・だけど僕はそこで命乞いをする。かつてないほど懇願した。僕の懇願への奴らの反応は狂気じみていた。「そうだなお前はいい奴だ」「お前はどこで何をしていた?」といい、そして3〜4匹が僕をトレードし合い、すごく蔑む態度だった。
僕は、愛のある人間だったが奴らの言葉に震え上がった。あの場所の恐怖は言葉にできない。腹の底から骨の髄まで感じる恐怖だ。奴らは言った「お前は楽しんだ」。それで僕は理解した。僕は女を楽しみ、大麻を楽しみ、酒を飲み楽しんだ。人を無視したり、見下す態度を取ったりもした。
仲間を思いやらなかった瞬間、時、場所、空間を実際に見るんだ。僕は泣きつき懇願し言い逃れようとしたが、永遠というのは時間を超越した状態だ。永遠にここにいる事を悟った。僕は間違いを犯し、処罰される事を理解した。
その生き物は部屋に入ってきて言葉を絶するほどの苦痛を与えようとした。奴らはこう言った「これは楽しくなるぞ」僕の苦しみが楽しみになる事がわかった。
神と交わなかった事を後悔した。・・
するとある声が湧き上がった。あれは悪魔だったかもしれない「今は俺がお前の神だ。俺に祈れ」それはおぞましく吐き気をもようおす声だ。
ビル・ワイズ
1998年11月23日3時に起き、幽体離脱をした。
そこは石の壁と柵に囲まれた刑務所にいた。その牢屋や不潔で悪臭漂う煙の充満する場所だった。牢屋の中には見たこともない悪魔のような生き物がいて、それは檻に入れられた獣のような声を出していました。奴らは神を恨んでいて私を酷く憎んでいるのがわかりました。その中の1匹が私を持ち上げ壁に投げつけた。悪魔たちは怪力でした。
神様が感覚を麻痺させていたので助かりましたが、辛い事は出口がないことです。希望が全くない事です。クリスチャンでない彼らは何百年後もまだそこにいるのです。誰も助けにこない。御使も守ってくれない。永遠にこの耐えがたい苦痛が続くのです。
鱗のような物で覆われた悪魔を見ました。大きな口、見開いた目、巨大な体で身長は3〜4mある。聖書にも書いてありますが、彼らは私を痛めつけ、肉を引き裂き、肉が帯のように垂れ下がっており、それでも自分が生きていることに驚きました。
地獄にも肉体が存在していて、悪魔が肉を引き裂き私の体から肉の帯のようにぶら下がっていました。別の悪魔が私の体を壁にぶつけ、骨が折れ痛みもあるのもわかりました。彼らは激しい憎みを抱いて・・。何億と人の耳をつんざくような、凄まじい叫び声が響きわたっていて、そこからは逃げられません。平安や静けさはそこにはありません。
悪魔は人間を憎み、激しい憎みを神に抱いています。
聖書では、地獄(ゲヘナ)は神の裁きの後に悪魔と共に落とされることになります。
なので死後は、すぐ地獄に行く事ができないので悪魔と共に地獄の門が開かれるまで待機することになります。
想像つくと思いますが、そこは多くの悪魔が気晴らしするために悪魔のおもちゃとして扱われる場所です。
この2人の証の最後のメッセージは「神様との関係をしっかり持つことだ」と語ります。
仏教とキリスト教の地獄の考え方の違い
仏教徒、キリスト教の地獄の教えの違いも解説です。
キリスト教 | 仏教 | |
地獄の回避・救われる方法 |
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地獄に対しての知識 |
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地獄の景色 |
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地獄の階級 |
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目的地は一緒ですが、両者とも教えることは違います。
教えのざっくりですが・・。
- 仏教→「受け入れ、善い行いをしていきましょう」
※仏教の元祖ブッタは修行により悟りを開き、良く生きるための概念を教える。
- キリスト教→「信じれば救われます。私は道になります。」
※神の聖霊の救いのメッセージによるもの。1500年かけ聖書がまとめられた。
どちらかと言えば仏教の教えは考え方を良き方向を変える教えですが、キリスト教は救いの道を教えます。
地獄の教えも聖書では1箇所、仏教ではそれぞれ8つの地獄が存在します。
地獄から回避する方法
聖書的にですが、地獄を回避する方法をご紹介していきます。
- イエス・キリストを通し神と和解する
- 神を愛する・隣人愛を持つ
- 霊の者として生きる
上記のことから解説していきます。
天国に行ける手段の参考として読んでみてください。
イエス・キリストを通し神と和解する
天国に行く方法に関して最も有益な情報がイエス・キリストを通し神と和解する事。
イエス・キリストって誰?どんな人?って疑問に思う方は『聖書の内容要約まとめ|クリスチャンが教える”聖書の内容”と”聖書の他の内容”をざっくりと解説』からなんとなくで良いんで読んでみてください。
仏教などの天国の教えでは「南無阿弥陀仏を唱えましょう」「悔い改めましょう」「今から良い行いをしましょう」という天国の回答へは曖昧な答えですが、キリスト教の聖典聖書では、ハッキリと天国に行く道・答えを教えています。
- イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。(ヨハネの福音書14:6)
聖書では、イエス様の教えを聞き従うことが天国に行ける条件だと断言します。
イエス様って何かというと👉神の子=私たちが天国に行ける切り札である救い主(メシア)になります。
「なんでそんなこと言えんの?」って思いますよね?
それは、神はイエス様を通し神の言葉を代理で話したからです。
- 「神を見た者はまだひとりもいない。ただ父のふところにいるひとり子(イエス様)なる神だけが、神をあらわしたのである。」(ヨハネの福音書1:18)
- 「私(イエス様)と父(神)とはひとつです。」(ヨハネの福音書10:30)
- 「イエスがこれらの言葉を語り終えられると、群衆はその教えに非常に驚いた。彼らの律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである。」 (マタイの福音書7:28〜29)
聖書の福音書にはイエス様が教えたメッセージが数多くありますが、イエス様の言葉というのは神の言葉となります。
少し信用できましたか?
👉聖書がなぜ信じれる?宗教大っ嫌いな僕が、気づけばクリスチャン歴15年になってた僕が証します
神を愛する・隣人愛を持つ
数多く天国に行ける条件があるのですが、特に大事な条件は2つです。
- 35 そして、彼らのうちのひとりの律法の専門家が、イエスをためそうとして、尋ねた。
- 36 「先生。律法の中で、たいせつな戒めはどれですか。」
- 37 そこで、イエスは彼に言われた。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』
- 38 これがたいせつな第一の戒めです。
- 39 『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。(マタイの福音書22:35〜39)
もちろんこれだけじゃなく、他にも多くの戒めがあります。
ですが・・まず、イエス様を信じる事が重視されます。
イエス様が教える戒め👇
- 怒ってはいけない
- 姦淫してはいけない
- 誓ってはいけない
- 復讐してはいけない
- 敵を愛しなさい
- 完全なものとなりなさい
- 人を裁いてはいけません
霊の者として生きる
これからは、霊の者として生きてください。
人間には、肉の意思と霊の意思があり肉の意思で生きる事は罪=死を犯します。
- 肉→欲望のままに生きる。
- 霊→平和と命を願う
と言っても人間で生きている以上・・霊で生きるなんて無理難題なんですが。
キリスト教の偉大な伝道者パウロ先生の下記の文章を読んでみてください。
- 肉の弱さのために律法がなしえなかったことを、神はしてくださったのです。つまり、罪を取り除くために御子を罪深い肉と同じ姿でこの世に送り、その肉において罪を罪として処断されたのです。それは、肉ではなく霊に従って歩むわたしたちの内に、律法の要求が満たされるためでした。肉に従って歩む者は、肉に属することを考え、霊に従って歩む者は、霊に属することを考えます。肉の思いは死であり、霊の思いは命と平和であります。なぜなら、肉の思いに従う者は、神に敵対しており、神の律法に従っていないからです。従いえないのです。肉の支配下にある者は、神に喜ばれるはずがありません。(ローマ人への手紙8:3-8)
上記の通りなんですが、霊に従い生きる事が永遠の命を得る事になります。
神の元に行くには、霊の意識を持つ事が必須です。
残念ですが、肉の者で生きれば死という意味は悪の子だからです。
- 「あなたがたは自分の父、すなわち、悪魔から出てきた者であって、その父の欲望どおりを行おうと思っている。彼は初めから、人殺しであって、真理に立つ者ではない。彼のうちには真理がないからである。彼が偽りを言うとき、いつも自分の本音をはいているのである。彼は偽り者であり、偽りの父であるからだ」。(ヨハネの福音書第8:44)
では、どうしたら神サイド(天国)に行くかというとイエス様の言葉=神の言葉を聞き信じ入れる事でイエス・キリストの霊が宿ることになるので、罪があったとしても義によって命に変えられます。
- 神の霊があなたがたの内に宿っているかぎり、あなたがたは、肉ではなく霊の支配下にいます。キリストの霊を持たない者は、キリストに属していません。キリストがあなたがたの内におられるならば、体は罪によって死んでいても、“霊”は義によって命となっています。もし、イエスを死者の中から復活させた方の霊が、あなたがたの内に宿っているなら、キリストを死者の中から復活させた方は、あなたがたの内に宿っているその霊によって、あなたがたの死ぬはずの体をも生かしてくださるでしょう。(ローマ人への手紙8:9-11)
これが、イエス様の霊と一体になり、霊の考えで生きる事で永遠の命となるということです。
こんな感じで少し難しかったと思いますが、難しいので理解できなくとも問題ありません。( ^ω^ )時間をかけて知っていく内容なので!
もし、聖書を読んでみたい!ってお考えの方は『聖書が無料で読めるおすすめアプリをご紹介』『お得に聖書を読むならkindleがおすすめ』より、気軽に聖書をD Lして読んでみてください。
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では、祝福がありますように( ^ω^ )ノ
▼地獄と天国にいけた話▼
「十字架のことば(福音)は、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。 」(コリント第一の手紙1:18)。